小坪海岸は神奈川県逗子市小坪にある海岸で、古くからゲイビーチとして有名なスポットです。
JR横須賀駅の逗子駅から歩いて約20分のところにあり、海岸は国道132号線から10mほど低い場所に位置しています。
住所 | 〒249-0008 神奈川県逗子市小坪4丁目 |
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体験談:ハッテンバナビからのレポート
東京から電車で1時間ちょっと。
小洒落たリゾート地・逗子市。
海と山に囲まれた風光明媚なこの街に、「ゲイの密かな桃源郷」が存在することをご存知だろうか?
その名は「小坪(こつぼ)海岸」。
リゾート感あるネーミングとは裏腹に、ここは知る人ぞ知るハッテンビーチ。
だが、稲毛や釣師のような大規模ハッテン場ではない。
あくまで「選ばれし者がたどり着ける、ひっそりとした神殿」なのである。
小坪海岸への行き方――Google Mapは味方、だが最後は体力勝負
逗子駅、もしくは鎌倉駅からバスで「小坪」バス停を目指す。
ここまでは簡単。
問題は「そこから先」である。
- バス停から住宅街を歩く。
- 鋭角な階段を降りる。
- 見えてくるのは“崖と海”のみ。
- 右手にある謎の岩場へと続く細道へ。
- 足元がゴツゴツした岩の斜面を越えて、ついに到着。
これ、事前に知らないと100%迷う。
Google Mapでは示しきれない「地形の険しさ」と「異空間感」。
まさに、プチ冒険。
汗と好奇心の試練である。
到着、そこは音のないユートピア
小坪海岸に着いてまず驚くのは、「異常な静けさ」。
波の音だけがBGM。
人の声も、子どものはしゃぎ声も聞こえない。
あるのは、物憂げな視線とタオルの陣地だけ。
稲毛のような都市型の喧噪はない。
釣師のような百戦錬磨の山男集団もいない。
あるのは、孤独の色気。
海岸自体が小さく、せいぜい10〜20人ほどの男たちが点在。
だからこそ、誰が来ているのか、すぐにわかる。
どんな人が来てる?──孤高の戦士たち
小坪海岸の客層は、「派手ではないが、目が離せない」タイプが多い。
- 筋肉質なスリム型(いわゆる細マッチョ)
- サーファー風の褐色おじさん
- 黙って座っているのに存在感がある彫像系
- リュックから出てくるプロテインバー常備系
- そして何故か、妙に姿勢の良い文学青年風も
共通するのは「自分の世界観を崩さない」という点。
誰もギラついていないのに、誰もが視線を交わしている。
視線だけでコミュニケーションを取るこの空間。
これがまた、妙に色っぽいのだ。
小坪の暗黙のルールを知らぬ者、海に沈む
- 喋らない:声を発するのは浮いてるサイン。
- サングラス必須:視線を隠しつつ送る、高度な暗号。
- 敷物の距離感:人のそばに敷きすぎるとアウト。2mは開けよ。
- カメラ厳禁:スマホを上に構えただけで白い目線が殺到。
- ナンパは察する文化:相手がOKかどうかは、空気で読むしかない。
静寂の中で行われる、会話のない会話。
それが小坪の醍醐味。
視線と波に溺れる午後
敷物を敷いてぼーっとしていると、目の前の岩陰から突然現れた、濡れたTシャツを脱ぎかけた細マッチョ。
彼がサングラス越しにこちらを見る。
一瞬、目が合った。
それだけで、心臓がドクン。
そこから30分間、我々は何も話さず、お互いをチラ見しながら過ごした。
結局、会話は一切なかったが、その30分がこの夏一番の「性的ではないがエロい体験」になったのだ。
初心者のやらかしメモ
- GPSに頼りすぎて民家の庭に迷い込む
- 足場が悪い岩場で滑って尻もち
- 「こんにちは〜」と挨拶してしまい場が凍る
- シャワー設備がないと知らずにベトベト状態で帰宅
事前準備は、命。
あと、滑りにくい靴、必須。
夜の小坪海岸――闇の静寂と妖気の共演
日が沈むと、岩場が黒い影になる。
昼間の「静かな色気」が「圧倒的な妖気」に変貌する。
波音の中で、影が静かに動く。
懐中電灯を使う人はほとんどおらず、月明かりとスマホの光が唯一のガイド。
決して声を出さない。
だが明らかに、何かが始まっている。
周辺スポットガイド
- 逗子マリーナ:リゾート気分を引きずったままカフェで一息。
- 鎌倉散策:少し歩けば古都と歴史のミスマッチ体験。
- 温泉&銭湯(葉山の施設など):汗と緊張を洗い流す聖地。
小坪は知ってる人だけの聖域
小坪海岸の最大の魅力は、「誰にでも開かれていない」ということ。
広告も、ガイドブックにも載らない。
ノンケにもあまり知られていない。
だからこそ、保たれる秩序と静寂。
この文化は、来た人同士の無言の協定で成り立っている。
自分と静かに向き合うなら小坪
稲毛、釣師、小坪。
すべて違う世界観を持ったゲイ海岸。
- 非日常を味わうなら釣師海岸
- 出会いを求めるなら稲毛海岸
- 自分と静かに向き合うなら小坪海岸
そして共通しているのは、空気を読むこと。
誰かが作ったテーマパークではない。
そこにいる人々の沈黙と節度が、「聖地」を保っているのだ。
この文化がこれからも、壊されず、騒がれず、静かに続いていくことを、心から祈って。