品川・蒲田

【東京・港区】アクアフィールド芝公園プール・芝プー・ゲイプール・ハッテンプールの詳細・体験談

アクアフィールド芝公園のプールは、通常「芝プー」と呼ばれていて、昔からゲイが多く集まるゲイプールとして知られています。

住所 〒105-0011 港区芝公園2-7-2
営業時間 原則として、7月1日から9月15日まで
7月〜8月末9:00~20:00
9月15日まで9:00~17:00
定休日 公式サイト参照
料金 2時間大人600円※超過料金(1時間まで)大人300円
公式サイト https://minatoku-sports.com/facilities/aqua/
電話番号 03-5733-0575

体験談:ハッテンバナビからのレポート

東京湾岸から吹く風

「芝プール?お前、知らないの?あそこ、ハッテンプールだよ。」

そう言ってニヤリと笑った、ゲイの先輩がいた。

その顔、妙に艶っぽかった。

  • 「競パンおじさん」
  • 「無言のアイコンタクト」
  • 「光の角度まで意識した日焼け」
  • 「エアロビ風準備運動で全身をプレゼンする男」

……それは都市伝説のようでありながら、

全員が語るときだけ声が小さくなる、そんな場所。

それが港区・芝公園にほど近い市民プール、芝プールである。

昔からゲイの間では有名なハッテンプールだ。

いざ、東京の桃源郷へ

訪れたのは、2024年8月某日。

快晴。気温35度。灼熱。

東京のビル街を抜け、芝公園の緑を背に、プールのある施設へと向かう。

都心とは思えない、昭和の香りすら感じる外観。

昭和がそのままタイムカプセルで保存されていたら、たぶんここになる。

受付のおばちゃんは、フレンドリー。

しかし、奥の更衣室に足を踏み入れたその瞬間、私は気づいた。

やはり、空気の密度が違う。

なんというか、湿度では説明できない。

視線が渦巻いている。

誰かがこちらを選別している。

パッと見た限りでは、全員普通の利用者。

しかし――

いや、違う。

視線の強さが違う。

明らかに「泳ぐ」より「選ぶ」ことに注力している人々が、

目を細めながら空間を舐めるように見ている。

私はこの瞬間をこう名付けた。

「品定めタイム」

芝プール、異世界へワープ

着替えを終え、いざ外へ。

広がるのは、やや小さめの屋外プール。

が、そのサイズの中に尋常でない密度の男たちが凝縮されていた。

まず驚いたのは、競パン率の異常な高さ。

普通、市民プールであれば半パンタイプの水着が主流だ。

子ども連れ、カップル、フィットネス勢……

そんな構成の中に、競パンおじさんが5人いたら「うわっ」ってなるはずだ。

ところがここ芝プールは、逆である。

競パン率、ざっと7割超。

しかも、年齢層は40代〜60代にかけてピーク。

ボディはムチムチ、バキバキ、あるいは「敢えてのだるみ」まで個性派揃い。

みんな、布面積の少なさに誇りを感じている。

それだけじゃない。

プールサイドをぐるぐる歩く謎の回遊者たち。

競パンの色と腰の角度をチラ見しては方向転換。

まるでポケモンGOをプレイしてるみたいだ。

中にはサングラスをかけて完全に「観賞モード」な男もいる。

しかも動かない。

彫像かよ。

でも不思議と怖くはないのだ。

なぜかというと、誰も声を出さない。

全ては「視線」と「ポージング」で行われる、沈黙の社交界。

芝サイド・オリンピア

そして、芝プール最大の見どころがここだ。

プールサイドで寝そべる競パンおじさん軍団。

日焼け目的、と思わせておいて実はほとんどの人が絶妙に角度を調整しながら寝ている。

その配置が凄い。

斜め一列。

視界にちょうど入るように並ぶ男たち。

時折、水をかけ合う者すらいる。

アートだ。

私が感嘆して見とれていると、隣の競パン紳士が突然、腹筋を始めた。

無言で、唐突に、仰向けのまま腹を10回ほど持ち上げる。

何その儀式?

と思ったが、これはきっと魅せ筋アピールだ。

筋肉は語る。

言葉は要らない。

これはジムじゃない、芝プール。

東の芝、西の真田山、そして過渡期の風

かつて、労協の芝プールと大阪の真田山プールは「東西ハッテン双璧」として語られていた。

東京の芝プー、大阪の真プー。

どちらも市民プールでありながら、

なぜか男たちのサンクチュアリとして独自の文化圏を築いてきた。

ではその違いは何か?

まず、芝プールは都会的なクールさが漂う。

日焼け・筋肉美・沈黙の社交性……

まるでプール版ブルーノート東京。

観察と静謐。

競パンの布地にすら都会の洗練を感じる。

一方、真田山は熱い。

見せ筋より付き合い筋。

ガチ泳ぎ勢とガチ寝そべり勢が混在する、ある種の祭り感。

競パンおじさんの密度も濃く、まるで「競パン界の天下一武道会」。

関西的なウェルカムさと開放感もあって、

「誰でも1回は濡れていけ!」という空気が流れている。

だが最近、そのどちらにも、少しずつ変化の波が来ている。

そう、「人が減っている」のだ。

芝プールも例外ではない。

コロナ禍以降、一度途絶えた視線の文化は、完全には戻りきっていない。

以前なら開場と同時に競パン戦士が列をなしていたプールサイドも、

いまや午後に行っても半分空いていることすらある。

原因は様々だ。

  • 感染症対策による入場制限の影響
  • SNSの進化によるリアル空間の衰退
  • 若者世代の水着文化離れ
  • そもそも布面積の小さい競パンが絶滅危惧種

何より、かつての常連たちが年齢を重ねて自然とフェードアウトしている現実もある。

プールは、時間に抗えない。

芝プーも、真プーも、少しずつあの頃の空気を静かに手放しつつある。

けれど、それが悪いとは思わない。

文化は変わる。

けれど、誰かがそこに想い出を残せば、消えたわけじゃない。

あの競パンおじさんたちの寝そべり。

無言の腹筋、日焼けローションの香り、静かに交差した視線。

それを見た人の記憶のなかに、それは今も生きているのだ。

公共マナーという筋

とはいえ、芝プールはあくまで公共施設だ。

そして、この空間を成立させているのは、誰もが黙ってマナーを守っているからだ。

筋肉は会話するが、声は静かだ。

ハッテン的な空気感が流れていることは確かだ。

しかし、それはあくまで「文化」として存在を漂わせているだけに留めておこう。

それこそが、芝プール最大の品格である。

時代は令和だ。

東京の夏、芝の香り

芝プールを出ると、蝉が鳴いていた。

湿った髪を拭きながら、私はふと思った。

「また来たいな」

それは泳ぎたいからではない。もちろん。

演じたいからでもない。

ただ、この静かな熱狂を、また味わいたいと思った。

競パンおじさんたちのパフォーマンス、無言の腹筋、視線の応酬。

それらが、妙に刺激的で、クセになる。

次はもう少し布面積の少ない水着を持ってこよう。

いや、あれはもう時代遅れか。

いや、でも、どうだろうか。

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